2018年 09月 14日
「言葉を使ったコンテンツ」と「雑誌」 |
文章のリハビリに、自分語りをします。
その中でクリエイターの方々と比べると私はふわっとしていて、形にこだわりがない方である気がする。
小さい頃から小説を書くのが好きだったが特に作家になりたい訳ではなかったし、
最近では短歌を詠むようになったけど歌人になりたいというと違和感がある。
(小説も短歌も良いものが作れればいいなとは思っている)
小学生の頃になりたかったものは、物書きではなく雑誌の編集者だった。
小学生の時の体験でいうと、クラス新聞を作るのが好きで、
記事の文章を書くということ以上に、どこにどんな内容を配置するかを考えるのが好きだった。
メインとなるクラスの内容と、時事ネタ、それからクロスワードパズルまで自作していた。
卒業文集も文集委員として誌面の企画を考えた。(しかし小学生女子のようなデコるのは苦手だった)
高校の部活の演奏会パンフレット作成もやった。
でも、最初は単なる憧れだった。
なんで雑誌の編集者になりたかったのか、最初のきっかけは全く覚えていない。
小学生の時に雑誌を読んでいた記憶も大してない。(コロコロコミックくらいしか本気で覚えてない)
なんで書籍の編集者でなかったのかもわからないが、当時書籍の編集者という仕事を知らなかった可能性もある。
でも今思うと、やはり特別に作家になりたい訳でも歌人になりたい訳でもないんだと思う。
どれか一つに絞れないし、どれか一つを極めたい訳でもない。
特に私の場合は「言葉を使ったコンテンツが好き」という表現が一番ぴったりなので、
コンテンツの形にはこだわりがないのかもしれない。
音楽好きであるから歌詞のない音楽や音楽の歌詞以外の側面も好きだけど、
歌詞のある音楽だと「言葉を使ったコンテンツ」としての面も追加されるから
「好き」という感覚がまた違ったものになっている気がする。
そういえばクロスワードパズルも、言葉を使ったコンテンツと言える。
ある意味そういう点では「言葉を使ったコンテンツ好き」を貫いている気がする。
ちなみに広告コピーも好き。特にルミネ。
そして、書籍の編集よりも雑誌の編集がやりたいのである。
小学生当時は私が雑誌を好きだったのかは分からないが、
今はしっかり雑誌を好きな理由を述べられる。
雑誌を好きな理由は、色々なことが載っているからである。
特に好きなページもあれば、そうでもないページもあるはずだ。
すべてが全員にドンピシャな訳がないと思う。
でも、逆に言えば、面白くないページがあっても、どこかに面白いと思うページがある可能性だってある。
また、ある特集を目当てで買った雑誌の違うページの内容がたまたま面白かったり目に付いたりして
そこで新しく出会うものもあるはずだ。
それが雑誌の魅力だと私は思っている。
例えば巻頭特集目当てで手に取った巻末の連載のコラムが面白いことってよくあることだと私は思う。
書籍だと起こらない出会いというものが雑誌にはある。
もちろん、全部面白いと思ってもらえることがあれば一番良いのかもしれない。
でも、どこかが人の心に引っ掛かってくれれば、素晴らしいことだと思う。
私が一人で作った『月明』も、そう思って作っている。
だから、全部を通して「?」となったとしても、
どこかのページの一部が、心に引っ掛かってくれたならそれほど嬉しいことはない。
もう一つ、魅力と言えるかわからないが、雑誌にはこんな部分もあると思う。
書籍はほとんどの場合著者や作者一人で書かれている。
編集者はもちろん存在するが、編集者の存在は読者からは見えない。
だから本を読む時は「著者(作者)と私」という二者の関係が成立している(と私は感じる)。
私の場合、これが窮屈な時がある。
文学部だったので当時文学の講義を受け、文学に対して他人の意見を聞いてああだこうだ考えるのは楽しかった。
そこには、読者は私以外に他者が存在する。
しかし、一人で読書をすると、(上手く説明できないのがもどかしいが、)
読者は私だけであり、私と著者(作者)との距離感が掴めなくなることが何となくある。
小説の場合はその小説に感情移入しすぎてしまったり、
評論や新書のような本の場合は言い負かされているような関係になってしまったりして、疲弊することがある。
(私は本を読むのも好きなので、これが悪いことと言っている訳ではありません)
けれども雑誌の場合はそうではない。
そもそも雑誌の中に何人も人が登場する。
書き手は何人もいるし、インタビューだったら取材対象とインタビュアー、
ファッション誌でもモデルやスタイリストが何人も登場する。
自分ともう一人、というような狭い感覚にならないのだ。
だから雑誌の方が色々な人の感覚が氾濫していて、
その中で自分を見失わず持ち続けながら自分の価値観で軽く読み進められる。
そういうところが好きだ。
しかしこの点は私の一人雑誌ではある程度考慮していても結局一人でやっているため不可能なので、仕事でやっていきます。編集者なので。
(『月明』は、「一人でどこまでできるのか?」という挑戦であり趣味でもあるので、できるだけ協力者なしでやりたいと思っているのです。
仕事と同ジャンルの作業でありながら仕事ではないんだし、思う存分独りよがりなことができるのって、趣味くらいじゃないですか。)
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by fuzzdistortion
| 2018-09-14 14:29
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